エルヴィス・プレスリー

エルヴィス・プレスリーについて

エルヴィスはアメリカの代表するソロシンガー、俳優である。20世紀の音楽史において重要な人物の1人であり、キング・オブ・ロックンロールやシンプルにキングと呼ばれている。それは彼の偉大な功績を讃えたものである。また、彼に影響を受けて歌手を目指したビッグスターも多い。ビートルズはエルヴィスがいなかったら出てこなかったアーティストとして有名である。

またエルヴィスは当時のアメリカでは考えられない白人音楽と黒人音楽とを融合させた音楽スタイル(ロカビリー)で衝撃を与えた。腰を振りながら歌うスタイルと相まって非難されることもあったが、ロックンロールを身近な存在にするなどの功績を残している。

1977年8月16日死去。翌日彼のレコードは飛ぶように売れ、1日で最もレコードが売れたアーティストとしてギネス登録されている。

基本プロフィール

芸名 エルヴィス・プレスリー (エルヴィス・プレスリー)
本名 エルヴィス・アーロン・プレスリー (Elvis Aaron Presley)
ニックネーム Elvis the Pelvis, The king of Rock'n' Roll
国籍 アメリカ
性別 男性
身長 183cm
体重 82kg
血液型 O型
誕生日 1935年01月08日 (享年42歳)
死亡日 1977年08月16日
干支
星座 やぎ座

所属

レコード会社 RCAレコード
事務所
事務所入所年 1955

所属

レコード会社 RCAレコード
事務所入所年 1955
デビュー年

好きなタイプ

エルヴィスにはデビュー前に付き合っていた彼女がいた。彼女はディキシー・ロックという。彼らは1953年初めから1955年10月まで付き合っていた。

エルヴィスとディキシーの出会いは教会だった。そこではブラックウッド・ブラザーズ・カルテットが歌っており、エルヴィスは彼女らのファンだった。ディキシーはそのメンバーの一人だった。程なくしてエルヴィスとディキシーは付き合い、結婚を意識するようになっていった。

しかしエルヴィスの音楽活動が活発になり、会えない日々が続いたせいで破局を迎えてしまう。その後エルヴィスはディキシーの元を訪れている。

性格

エルヴィスはとても温厚で優しい人物である。家族を大切にする心優しい面もある。また、彼とセッションを組んでいたメンバーはエルヴィスの人柄に惚れたと語っている。一方では非常に繊細な人物でもあった。子供の頃からずっと神経質だったと語っている。

ロックンロールと言えば酒やタバコなどのイメージがつきものだが、エルヴィスはそれらを好まなかった。またステージ上での派手な衣装も値が張るものではなく紛い物でも構わないという考えだった。

そしてキリスト教徒らしい格言も多く残している。彼が遺した格言は彼の実直で謙虚な性格がよく分かるものばかりである。

趣味

エルヴィスはバッジ収集が趣味で、多くのバッジを所持していた。公安系のバッジが多く、警官・保安官・麻薬取締官が主だったという。また、ニクソン大統領時代、アメリカはドラッグやヒッピーと行った反社会的な風潮があり、エルヴィスは大統領当てに力になりたいと手紙を送っている。こうして実現した面会で大統領から麻薬取締官のバッジを貰っている。

晩年、肥満から来る体調不良により長年続けてきた空手ができなくなったことでラケットボールを趣味として続けた。自宅にラケットボール用のコートを作り、友人たちと楽しんでいたという。

特技

エルヴィスは若い頃から空手を好んでいた。徴兵されたエルヴィスは1958年のドイツにて初めて空手に触れ、現地の松濤館にて学んでいる。そして休暇でパリに滞在していた時に日本人の師範に学んでいる。師範の名前は村上といい、ヨーロッパでは松濤館空手のパイオニアである。

師範から直接指導を受けたエルヴィスは多くの時間をトレーニングに費やした。村上師範から日本スタイルを学んだエルヴィスは1960年黒帯を取得している。

デビュー前の経歴

エルヴィスは1935年1月8日、ミシシッピ州のテュペロにて生まれる。両親はキリスト教徒であり、家族で教会での集会に出席していた。そこで彼の音楽へのインスプレーションは生まれた。

1945年10月3日、10歳のエルヴィスはテュペロで開かれたユースタレントコンテストで椅子の上に立ち、マイクを片手に「Old Shep(老いた羊)」を歌った。このコンテストはラジオ放送され、彼は賞金を貰った。これが幼少期のエルヴィスにとって最初の音楽活動の一つとなる。

翌年、エルヴィスはライフルと自転車を欲しがったが両親は認めず、代わりにギターをプレゼントされた。

1948年、エルヴィスと家族はテネシー州のメンフィスに移住した。ここでもエルヴィスはギターを弾きながら歌い続けた。ビールストリートで服を買い、黒人の音楽であるブルースやゴスペルを聞いていた。彼は艶のある長い髪ともみあげを生やしていたため、他の子供たちとは違っていた。

1953年に高校を卒業後、メンフィスのレコーディングサービスに落ち、サン・レーベルのホームにて「マイ・ハピネス」、「ザッツ・ウェン・ユア・ハートエイクス・ビギン」のでデモテープを作った。費用4ドルは母グラディスからの誕生日プレゼントとして払われた。アシスタントであるマリオン・ケイスカーはエルヴィスのことを素晴らしいバラード歌手だと自身のノートに綴っている。

1954年、エルヴィスはクラウン・エレクティック社に就職し、運送屋として働く一方で、電気工見習いとして夜間学校に通っていた。同年マリオンの提案によりエルヴィスはサム・フィリップスにスタジオに呼ばれた。曲名は「ウィズアウト・ユー」。サムの満足いくものではなかったが、エルヴィスの歌に感銘を受け、スコッティ・ムーア、ビル・ブラックと共に歌わせるようにした。そして7月5日、A面「ザッツ・オールライト」B面「ブルームーン・オブ・ケンタッキー」をサンレーベルよりリリースした。これがエルヴィスの最初のシングルである。

出身・家族・学歴

兄弟 ジェシー・ガーロン・プレスリー
出生国 ミシシッピ州テューペロ
出生地域
高校 L.C.ハムズ高校
大学

家族のエピソード・詳細

エルヴィスはヴァーノン(父)、グラディス(母)の3人暮らしだった。彼にはジェシーという双子の兄弟がいたが、死産している。

1966年クリスマスの少し前、エルヴィスはプリシラにプロポーズをした。そして1967年5月1日彼らはラスベガスのアラジンホテルにて結婚した。1968年2月1日に娘リサ・マリーが生まれる。

しかし別居生活が多かったこともあり、1973年離婚。離婚したが、彼らは近しい関係のままだった。一人娘リサのためを思ってのことだった。

解散・引退について

ソロシンガーなので解散はない。
1977年自宅にて急死するまで活動している。

周囲からの評判

1970年代、6年間キーボード担当としてエルヴィスと演奏していたグレン・D・ハーディンは、エルヴィスの印象についてこう語っている。「初めてエルヴィスと出会ったのはリハーサルの時だったんだ。僕は彼の会社でいい時を過ごしたよ。彼はとても楽しくて、とてもフレンドリーだった。僕らはハードワークではなかったよ。彼とは普通の友達のようにジョークを言い合って笑い、演奏していたんだ。とても楽しかったよ」

整形

整形は行っていない。

好きな食べ物

ピーナッツバター、バナナ、ベーコンのサンドイッチである。別名エルヴィスサンドとも呼ばれている。

公式サイト・SNS

公式サイト https://www.sonymusic.co.jp/artist/elvispresley/
Instagram
Twitter
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