原千晶

日本の俳優 日本のタレント

原千晶について

原千晶は、1994年~1995年度の「クラリオンガール」に選出され、芸能界にデビューを果たした。当時のキャッチコピーは「ブラックドルフィン」である。1995年9月、渡辺ミキが新たに設立した芸能事務所のビスケットエンターティメントに籍を置き、テレビ番組TBSの『ワンダフル』、『ウンナンのホントコ!』、フジテレビの『力の限りゴーゴゴー!!』などに出演した。

初代の女性MCとして出演したテレビ番組『ワンダフル』では、番組制作にも本格的に携わり、共演のワンダフルガールズに共感し「ワンギャルの中から売れる子が出ないと番組としては失敗だ」との意識を持って懸命にサポートして、『ワンダフル』の番組としての認知度や視聴率のアップに貢献した。

また原千晶は、ラジオDJとしても『サンデーサウンドウォーカー』など、多くの番組に出演した。1997年には、写真家の篠山紀信撮影によるヌード写真集 『BORA BARA』、1999年にはセミヌード写真集『月刊原千晶』を発売するなど、セクシータレントとしてのアピールも行った。

基本プロフィール

芸名 原千晶 (CHIAKI HARA)
本名 原千晶 (CHIAKI HARA)
国籍 日本
性別 女性
身長 165cm
血液型 O型
誕生日 1974年04月27日 (46歳)
干支
星座 おうし座

所属

事務所 渡辺プロダクション

交際相手、彼氏・彼女に関する噂・報道

原千晶と田中哲司は2004年に半同棲している様子を報じられたことがある。その翌年に原千晶が子宮頸がんだったことが発覚し、その後両者の関係は終わったが、田中哲司はその後、女優の緒川たまきとも浮名を流し、女性に手が早いことで業界内では「共演者キラー」と呼ばれていたという。

田中哲司の現在は、女優の仲間由紀恵の夫で、2017年には結婚3年目にして不倫していたことが発覚している。田中哲司は仲間由紀恵と結婚する前は、あまり名前を知られていなかったが、舞台を中心に数多くのドラマや映画に出演している人気バイプレイヤーであった。仲間由紀恵との結婚で、実力のほかに知名度も上がっていた。

好きなタイプ

原千晶の好きなタイプは、正直で武骨な男性である。好きになった男性に高村光太郎の詩集「智恵子抄」を必ず読ませるといい、好きな人が出来ると自分から告白するとのこと。

性格

原千晶は、根は人見知りで、ひとりで街を歩いて買い物をするのが大好きで、ひとり旅も好きである。結婚後もひとり旅に行くとのこと。姉御肌で後輩タレントから慕われており、クルマを運転する時は人格が変わるという。

原千晶は、自分のことを「プライドが高い女」だと思うと語っている。好きな人としか2人きりになりたくないと思っており、好きな人になら何をされても平気で、好きな人にはめちゃめちゃ甘えるとのこと。いったん好きになると一途にのめり込む性格である。

原千晶の現在は、レギュラー番組は『ひるおび!!』のコメンテーターのみであるが、芸能活動とは別で「よつばの会」を設立している。この会は原千晶を交えて女性特有のがんを患った人が月に一度集まってお話をする会であり、悩みや情報を共有している。原千晶の経験などを伝えながら、闘う女性を応援しているという。

原千晶はサバサバとした性格と嫌味の無さで周囲からも好かれており、とても真面目で一生懸命な性格であるが、恋愛面では、人一倍好き嫌いが激しい一面もあり、年下の男性をあまり好まないという話がある。

趣味

原千晶の趣味は読書、文章を書くこと、手芸、せっけん作り、ピアノなどである。最近始めたというミニチュアフードづくりにもはまっているとのこと。原千晶曰く「樹脂粘土という特殊な粘土を使って卵焼きや、目玉焼き、ラーメンやパスタ、ハンバーグなどを作っています。簡単に説明するとレストランにある食品サンプルのミニチュア版です。小さくて可愛い!すぐにファンになりました。もともと手先を使う細かな作業が好きで、嫌な事を忘れて没頭できるのでそれが今一番のストレス解消法ですね。「浅草の道具街」、「かっぱ橋」に食品サンプルを見に行くのもすごく楽しいです。」と語っている。

特技

原千晶は学生時代は剣道をやっていて、スポーツが得意で活発だったとのこと。剣道は、有段者(初段)であり、ゴルフも得意である。

原千晶はアロマテラピーインストラクターの資格も取得している。2003年から約1年程、本業のタレント活動を一時休業してアロマインストラクターの資格を取得した後、2004年から「Seribu Kristal Sabun」のブランド名で手作り石鹸の製造も開始している。そして自身のブログを開設し、本業のタレント活動の他にアロマセラピーの情報も発信している。

デビュー前の経歴

原千晶は、1974年北海道帯広市に生まれ、その後は生命保険会社に勤務していた父親の転勤に伴い、北海道釧路市、福岡県北九州市小倉、大阪府、埼玉県川越市、千葉県などを転々とした。横浜から小倉に転校した時に言葉がわからないストレスで内気になったという。そしてイジメが原因で高校を自主中退し、その後再受験して別の高校に入り直している。

原千晶は、高校時代からマクドナルドでアルバイトをし5年間続けている。高校卒業後は特に将来の目標もなく、昼夜かけもちでアルバイトをしていた。芸能界に入ったきっかけは、「小さい頃はピアノの先生や看護士さんなど、子どもらしい普通の夢を持っていました。しかし高校を卒業した頃、『浅草橋ヤング洋品店』通称『浅ヤン』というテレビ番組が大流行していて、この番組のなかで素人参加型のオーディション企画があったことや、偶然私の周りにモデルの友人がいたことなどもあり、次第に芸能界に興味を持つようになりました。芸能界といってもアイドル、歌手、女優など色々なジャンルがありますが、自分の特徴である身長を活かせるモデルになりたいと思い、友人のアドバイスでモデル事務所にプロフィールを送ったところ、その事務所に所属することができました。そして様々なキャンペーンガールのオーディションを受け、幸運にもクラリオンガールに合格しました。私自身合格できるとは思ってなく、神がかっていましたね。」と本人は語っている。

原千晶が様々なオーディションに応募して最初に受かったのが、1995年度の第21代クラリオンガールであり、それでモデルデビューしている。クラリオンガール時代のイメージコピーは「ブラックドルフィン」である。

出身・家族・学歴

兄弟
高校 北豊島高等学校
大学 進学してない

周囲からの評判

原千晶は、酒が強く一人で焼酎やワインのボトルを1本あけるという。酔うと知らない人に話しかけたりし、泥酔すると人格が変わってしまうとのこと。

TBSの人気男性アナウンサーの安住紳一郎が実は原千晶の従兄にあたるという。そしてオセロの松嶋尚美と、Take2の東貴博とは大の親友関係である。

原千晶が小学校時代に甲状腺の病気であるバセドー病になってしまい3か月ほど入院したことがある。その時、クラスメートがひとりひとりメッセージを書いた文集を先生が作って送ってくれたときのことを原千晶はこう語っている。「先生が私に言ってくれた言葉があって。「今はとってもつらい状況かもしれない。真っ暗なトンネルにいる状況も出口は絶対にあるから。また明るい原さんに戻れるから頑張って」と。生まれて初めて感銘を受けた、最初の言葉。退院して、時間はかかったけど徐々に友達ができて。今でも集まる一生涯の友達ができた。良い出会いになりました。」と。当時通っていた横浜六ツ川西小4年時の担任、森光美佐子先生は、「千晶さんとはほんの短い期間だったけどとても印象に残っています。自分の意見がしっかり言える子でした。テレビに出ているのを見て千晶さん!?と驚いた。頑張ってるなーって。17年前、24時間テレビに一緒に出たのは良い思い出です。すてきな旦那様と結婚して本当に良かった。トンネルなんかもうとっくに抜けて羽ばたいてるわね。」と語っていた。

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