高見恭子

日本のタレント

高見恭子について

高見恭子は、日本のタレント、エッセイストとして、80年代バラエティ番組で活躍していた。今は政治家の奥様にして一児の母、さらにファッションブランドのプロデューサーとして活躍している。

1982年に映画『キッドナップ・ブルース』、1984年のドラマ『大家族』に出演し、1985年にはドラマ『愛ってなに』に出演している。他の主な出演作は、映画では『快盗ルビイ』、『劇場版 高速戦隊ターボレンジャー』などで、ドラマでは『ヨイショ君』、『しあわせ物語』、『妻よ妻よ』がある。テレビでは『こたえてちょーだい!』、『ジャスト』、『はなまるマーケット』などに出演していた。CMでは「小林製薬 クイックドライタオル」にも出演している。

主な著書は、『ボーイフレンド』、『上品講座』、『カレンダー』、『恋の欲望』、『マザーズライフスタイルあなたが今いる優しい場所』、『私は恋愛と悲しみの境を知らない』がある。

基本プロフィール

芸名 高見恭子 (KYOKO TAKAMI)
本名 馳 恭子 (KYOKO HASE)
国籍 日本
性別 女性
身長 170cm
血液型 AB型
誕生日 1959年01月05日 (61歳)
干支
星座 やぎ座

所属

事務所 渡辺プロダクション

交際相手、彼氏・彼女に関する噂・報道

高見恭子は1990年5月21日に、年下の美容整形外科医と極秘入籍し9月に挙式したが、同年11月にわずか半年でスピード離婚した。結婚一ヶ月で夫婦関係が破綻していたという。

この時の結婚は「ひらめき婚」で、高見恭子は離婚会見で泣きながら夫婦のすれ違いを語っていた。「幸せな家庭を作り上げる途中で壊れてしまった。くしゃみをしている間に全てがなくなってしまっていた」と泣きながら、高見恭子の手料理を拒んで外食を好む元夫との価値観の不一致を述べていた。

高見恭子は、1994年に当時プロレスラー(2006年に引退)で現在は衆議院議員である3歳年下の馳浩と再婚し、現在の本名である馳恭子となった。馳浩は1984年のロサンゼルスオリンピック代表を経てプロレスラーとなり、新日本プロレス・全日本プロレスなどで活躍した。

馳浩は1995年に参議院議員に当選し政界入りし、文部科学大臣(第20代)を務めた。高見恭子と馳浩の2人の出会いは、衆議院議員の松浪健四郎の紹介であった。当時は新日本プロレス所属の馳浩と1年間交際し、1995年3月に再婚した。馳浩を紹介された翌日に母親が死去し、母の葬儀を馳浩が仕切ってくれたという。

馳浩と高見恭子はバツイチ同士に加え、高見恭子と知り合う前に馳浩が元巨人軍の松井秀喜の母校である石川の星稜高校で国語の教師として教鞭をとっていたことや、愛読書の一つが高見順の「死の淵より」だったことも、2人の距離を縮めた。1995年の再婚会見で高見恭子は「明日こそ、いい日になるだろう、と思わなくなった。昨日も今日も安定していて、同じ船に2人で乗っている気分。今日は落ち着いています」と語った。

高見恭子と馳浩は2015年に「いい夫婦 パートナー・オブ・ザ・イヤー 2015」を受賞した。最初の結婚とは違い毎日安定した穏やかな日々を送れているとのこと。馳浩は高見恭子のやりたいことを尊重し、あたたかく見守ってくれるタイプで、2人ともお互いを尊敬し合い、言葉に出して褒め合うようだ。「かっこいいね」「頭がいいね」など感じたことはなんでも言葉にして伝えることを意識しているそうだ。また2人は「互いの収入も貯金も知らない」らしく、経済的に自立した夫婦であることをアピールしている。

高見恭子と馳浩には、1998年に生まれた娘が1人おり名前は「鈴音(りおん)」である。

性格

高見恭子は10代のモデル時代はあまり性格が良くなかったと自分で語っており、自慢たらしい性格であったとのこと。

高見恭子はモデルからスタートしているが、働きながら育ててくれた気丈な母親から、「仕事を持って、自立した女性になりなさい。」と言われて育った事もあるのか、仕事がとても好きで生きがいとしている。出産の3日前にも「行ってきまーす」っと出かけて仕事をこなし、出産後21日目には仕事に復帰していたという。

高見恭子の父親は作家でとても神経質だった事から、近づけず、その淋しさは今も残っているようだ。しかしそういう父親から「創造力」をもらったとのこと。文章を書くのは「聖なる仕事」で、1人で静かに1つ1つの言葉を吟味しながら原稿を書いており、自宅ではいつもクローゼットの中にメモが箇条書きで貼って、狭いところで隠れるように書いてるという。

趣味

高見恭子の趣味は、料理、読書、貴金属リフォーム、ドライブ、ブックカバー集め、韓流などの海外ドラマの鑑賞、ウォーキング、映画、ファッション、俳句などがある。

更に高見恭子は、1970年代の乙女系の漫画も好きで、娘を巻き込んで少女漫画やアニメに夢中になっているようだ。また、高見恭子のマイブームは、本が好きで、読書とブックカバーを集めているとのこと。

特技

高見恭子の特技と言えば、韓国料理をつくることであり、韓国料理教室にも通いキムチなども基礎から習うくらいに韓国料理を極めているという。

また高見恭子は、香りも大好きで、日本フレグランス協会トレーニングスクールで勉強し、試験を受けてフレグランスセールススペシャリスト(フランスフレグランス協会公認)資格を持ち、フレグランススペシャルアドバイザーとしても活動している。

更に、子供の頃からインテリアが大好きで、部屋をシーズンごとにキャラクターを変えて飾り付けして、楽しんでいたという。そういったことが高じて、2年間インテリア専門学校に通い、ライフスタイルプランナーの資格も取得している。

デビュー前の経歴

父親の高見順は同年8月17日、高見恭子が小1の時に病死した。14歳の時に、雑誌『MC SISTER』(アシェット婦人画報社)のモデルとして、「高見恭子」の名でデビューした。スタイル抜群で人気になり、タレントでも活躍した。高校卒業まで、高見順の未亡人から養育費を受けていたという。

高見恭子は、作家であり神経質でもあった父親の執筆の邪魔にならないように、家の中では常に音を立てないようにしていて、父親に抱っこされたり怒られたりした記憶がないという。母親が銀座のデパートや映画館によく連れて行って、夏休みに「映画館は涼しい」ということで、朝からタイトルもストーリーもわからない映画を観せられていたという。

出身・家族・学歴

兄弟
高校 不明
大学 和光大学人文学部中退

家族のエピソード・詳細

高見恭子は、1959年作家高見順(本名:高間芳雄)と、その愛人小野田房子(高見の小説『生命の樹』に登場するホステスのモデル)との非嫡出子として生まれ、出生名は「小野田恭子」だった。

高見恭子が5歳の時の1965年8月4日に高見順の養女として高見家の籍に入り、「高見恭子」となっている。

周囲からの評判

高見恭子の評判としては、お笑い芸人の平野ノラがブログで高見恭子になりきった写真を公開し、「海辺からの…高見恭子です!」というコメントと共に、夜の海辺で真っ赤なスーツなどバブリーな衣装を身につけて髪をかきあげる仕草をしている写真を公開している。平野ノラ曰く「高見恭子さんの宣材写真ものまね」とのこと。さらには高見恭子のスタイルブック『She』を紹介し、「スタイルブックには内面の美しさが暮らしにも溢れてる素敵ーー!!ずっと美しくてキュートでマイスタイルを持った高見恭子さんから目が離せない!」と書いていた事がある。

更に、高見恭子が自身のブログで、平野ノラのポーズを披露したこともある。情報番組『なないろ日和!』(テレビ東京)の撮影の時に「Mマネージャーにポーズ教えていただきながら、高見恭子 平野ノラちゃんになる」「ヤッピー、しもしも」というコメントと共に、片手を上げて片膝を軽く曲げた、ノリノリの「ノラポーズ」を披露している。

平野ノラが最初は「高見恭子に似ている」と自称し、実際にブログやバラエティ番組などで高見恭子の顔真似を披露してそれが好評を得、その後に高見恭子が平野ノラを真似るに至った。高見恭子の平野ノラの真似もかなりハマっており、ファンからも好意的なコメントが多く寄せられた。

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