久我 美子

久我 美子について

久我美子は、1970年代以降はテレビ・舞台を中心に活躍した女優。

基本プロフィール

芸名 久我 美子 (YOSHIKO KUGA)
本名 小野田 美子 (HARUKO ONODA)
ニックネーム
国籍 日本
性別 女性
身長 153cm
体重 0kg
血液型
誕生日 1931年01月21日 (88歳)
干支
星座 みずがめ座

所属

レコード会社
事務所 渡辺プロダクション
事務所入所年

所属

レコード会社
事務所 渡辺プロダクション
事務所入所年
デビュー年

交際相手、彼氏・彼女に関する噂・報道

1961年、平田昭彦からの猛烈な求愛の末に結婚した。当時久我美子は俳優と結婚する気はなかったという。

平田昭彦は1927年12月生まれで、映画界に興味を持っていて、大学在学中に新東宝で助監督のアルバイトをやっていたこともある。1950年大学を卒業すると東京貿易に入社したが、映画界への興味は捨てきれず、俳優への転身、1953年第5期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し、マキノ雅弘監督の『抱擁』でデビューした。

結婚した当時はゴシップとして取りあげられることもなく、結婚後も1984年7月平田昭彦が死去するまでおしどり夫婦として仲良く暮らしていた。子どもはいない。

好きなタイプ

不明

性格

旧華族の出身である久我美子は、いうなれば究極のお嬢様。上流階級のなかで培われた高貴な品格のようなものはやはり自然とにじみでてくるものである。ノーブルさゆえにちょっとインテリ的な冷たさを放つ。

『挽歌』への出演が決まった当時の久我美子は「『挽歌』を拝見し、ヒロインの怜子はどうしても私がやりたいとお願いしたところ、五所先生も原田康子さんもイメージにピッタリということで幸いにも怜子役に抜擢していただいたことに心より感謝いたします。確かに私は細くてひ弱そうで…怜子にはイメージが一致しているかもしれませんが、でも内からにじみ出るものが、私に備わっているかどうか正直心配です。考えれば考えるほど怜子って難しい、と感じます。何しろ、これほどの大ベストセラー作品の映画化で読者の方々が映画を見てがっかりされてはいけませんから。皆さまがその怜子のイメージをがっちり作られているのです。でも野望を抱いた私ですから今までの私になかった面を五所先生に引き出していただき、なんとしても皆さまのご期待に沿えるような怜子になり切りたいと決意しております。」と語った。

この言葉から与えられた役柄に対して、真摯に向き合う久我美子の性格がうかがえる。

趣味

不明

特技

不明

デビュー前の経歴

久我美子は女子学習院中等科3年の1946年5月、斜陽華族の長女として家計を支えるべく、東宝の第一期ニューフェイスの募集に、家族や学校にも相談せず応募し、4000人の中から採用された。しかし、侯爵家の令嬢が映画界に入ることに祖父らが難色を示し、戸籍を母の兄の養子となった。

東宝大争議のあおりを受けて社内が俳優不足になったことで、彼女もいきなりオムニバス映画『四つの恋の物語』の第1話「初恋」(豊田四郎監督)で池部良扮する高校生に憧れる女学生ヒロインとして映画デビューを果たした。

出身・家族・学歴

兄弟 兄、妹
出生国 東京都
出生地域
高校 不明
大学

家族のエピソード・詳細

久我美子は、東京市牛込区(現・東京都新宿区)で公家華族の中でも指折りの名家久我家に生まれた。公家の家格には、第一等の「摂家」から、順に「清華家」、「大臣家」、「羽林家」、「名家」などがあり、久我家は、第二等に位する「清華家」の家格が与えられており、「清華家」の九家の中で筆頭に上げられている。

母の与志江の実家は日本橋でべっ甲問屋を営んでいた「篠崎商店」。セルロイドを扱ってかなり大きな商売をしていた商店である。久我通顕と結婚する時のことについて「当時は実家が平民、嫁ぎ先が華族さまというんで、宮内庁がずいぶん調べたそうです。何でも親族を七代前まで調査するんだとか言われて平民同士の結婚のように簡単にいかなかったようですよ。わがままいっぱいに育って『お嫁にはいかない』って言ってたんですが、そこに華族さまからのお話があったんです。祖母が『末代までの誉れです』とすっかり感激して私に頼み込んだものです。」と語っている。

解散・引退について

周囲からの評判

日本映画黄金時代の名作群を見ると、久我美子はその姿を見かけないことはないほどに、当時の名匠巨匠たちの作品に出演している。

映画デビュー当時の久我美子は、さすがに演技初体験ということもあって何度もNGを出して、日ごろ優しい助監督からカチンコで頭を叩かれたりもしたという。

第3作の成瀬巳喜男監督『春のめざめ』では、長野県美ケ原の55日に及ぶロケ中に体調を崩してげっそり痩せこけてしまい、以後、小柄で痩身というイメージが定着した。

1950年の今井正監督作品『また逢う日まで』で今井監督から徹底的に鍛え上げられ、演技開眼。

平田昭彦と結婚を機に、徐々に映画出演は減っていき、70年代以降はテレビに仕事の主軸を傾けていく。

1984年、夫の平田昭彦が56歳の若さで死去、1989年東宝特撮映画で平田昭彦にオマージュを捧げるかの如く、ゴジラシリーズ第17作『ゴジラVSビオランテ』に久我美子は官房長官の役で出演し、特撮映画ファンの胸を熱くさせた。

久我美子の終始一貫して礼儀正しい姿勢を愛してやまなかった稲垣浩監督は、「敗戦は久我家にとっては幸福とはいえなかっただろうが、美子さんにとっては自由に生きる道が開かれたといっていいのではないか」と評している。

整形

不明

好きな食べ物

公式サイト・SNS

公式サイト
Instagram
Twitter
Weibo

このアーティスト情報は正しい内容ですか?もし情報が間違っている場合は、会員登録(無料)をして修正を提案してください。

会員登録(無料)して情報を修正