福山雅治は、歌手として「桜坂」や「家族になろうよ」などのヒット曲を生み出した他、『ひとつ屋根の下』(1993年)やNHK大河ドラマ『龍馬伝』(2010年)、『ガリレオ』シリーズなどドラマで俳優としても活躍する、日本を代表するアーティスト。
元々友人とバンドを組むほど、音楽が好きでミュージシャンを目指していた。だが、就職して安定することが親孝行になると思っていた為、高校を卒業して就職。しかし、夢を諦めきれず、上京して歌手を目指した。
上京してすぐ、アミューズ主催の『アミューズ・10ムービーズオーディション』に応募し、合格。オーディションと同じ年に、映画『ほんの5ℊ』で俳優としてデビューを果たす。その後ドラマ、映画に出演。一躍脚光をあびたのは、ドラマ『ひとつ屋根の下』に出演した時である。
基本プロフィール
芸名 | 福山雅治 (Masaharu Fukuyama) |
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本名 | 福山雅治 (Masaharu Fukuyama) |
ニックネーム | ましゃ |
国籍 | 日本 |
性別 | 男性 |
身長 | 181cm |
体重 | 71kg |
血液型 | O型 |
誕生日 | 1969年02月06日 (54歳) |
干支 | 酉 |
星座 | みずがめ座 |
所属
参加グループ | |
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事務所 | トライストーン・エンターテイメント |
福山雅治は小西真奈美との交際を2010年に週刊誌「女性セブン」で報じられ、実際には2004年頃から交際していたとの報道。きっかけは紹介。福山雅治と仲が良い、俳優の加藤晴彦が小西を紹介したようで、福山雅治は長崎、小西は鹿児島でお互い九州出身ということもあり、意気投合したという。
他にも趣味など共通点も多く、交際に発展したようだ。結婚の情報も流れており、お互い真剣な交際だったのかもしれないが、結局は破局した。
福山雅治と吹石一恵が初めて知り合ったのは、2001年の雑誌の企画だった。当時31歳の福山雅治は人気俳優として活躍中、反対に吹石一恵はまだ18歳だった。この雑誌で知り合った吹石は、周囲に福山雅治のファンだと言っていた。
事実、福山雅治のコンサートに吹石が行っていたことが知られている。しかし、当時はプライベートでの親交は無く、お互いの連絡先も知らなかった。10年後の2011年、お泊り熱愛の報道がでた。
報道後には、破局説も伝えられていたが、結局は密かに付き合っていたようで、順調に交際を続け、2015年9月結婚が伝えられた。2016年12月に第1子が誕生している。
1993年のドラマ「ひとつ屋根の下」での共演をきっかけに知り合い交際に発展した。福山の楽曲「桜坂」は内田のために書かれた曲だとも言われている。しかし、2人の結婚観の違いから破局に至る。
福山雅治は女性のタイプについては色々と発言している。基本的には明るくて優しい人が好みのタイプで、他にも料理が上手い人や、聞き上手な人など挙げている。まとめると、福山雅治は家庭的な人がタイプのよう。
福山雅治がキレイ好きなので、掃除のできる人は絶対という。インタビューで、「もし好きになった人がキレイ好きじゃなかったらどうする?」という質問には「練習してもらう」と答えている。練習したら出来るようになるので、消極的で諦める人などは嫌いという。
福山雅治は、幼少期は正義感の強い子だった。イジメられている友達がいると、敵討ちをするような子供だったという。目立ちたがりで、友達の前で面白い事をしていた。
その反面で人見知りが激しく、現在はそこまでで無いが、人と目を見て話す事が苦手。普段は無口で、一人の時間が好き。
福山雅治はとてもキレイ好きで、整理整頓もきちんとしないと落ち着かない。自宅では毎日コロコロを使って掃除をする、水回りの清掃や使い方などはMYルールを作るなど、神経質な所もある。
他にも男性としての福山雅治の魅力は、人間関係を大事にする所。嘘や人の嫌がる事をしない、友情を大切にし、人の恩を忘れないという男らしい一面もある。
俳優として歌手として、幅広く活動しているが、常にチャレンジ精神を持つ事を大事にしている。新しい事にはどんどんチャレンジしていきたいと、現在では肩書も俳優や歌手だけでなく、写真家など色んな事にチャレンジし続けている。
福山雅治の趣味はカメラである。1994年に自身のシングルのジャケット写真を撮ったのがきっかけ。当時、この撮影で知り合った、写真家の植田正治を師匠と仰ぎ、本格的にカメラにのめり込んでいった。
自身の個展などもやっている。基本的にはモノクロ写真が好き。そのカメラの腕前で、2000年のシドニーオリンピックから5大会連続で、テレビ朝日の特別カメラマンとして、アスリート達の写真を撮っている。
また格闘技が大好きで、ßźの稲葉浩志さんのオフィシャルサイトで、アメリカの総合格闘技『UFC』について対談しているのですが、その時の知識は相当のものでした。その証拠に、独身最後の日となった9月27日も、さいたまスーパーアリーナで行われていた「UFC FIGHT NIGHT JAPAN」という格闘技の試合を観戦。WOWOWでの生中継ゲストという形だったが、かなりエキサイトしていて席から立ち上がる場面も。妻の吹石も子供の頃から空手をならっていて有段者。日頃から、2人で格闘技の話で盛り上がっていると言われる。
福山雅治の特技はバイクとギターである。ギターはバンドをする為、中学時代にやり始めた。現在では、50本以上も所有しており、一番大事な宝物は「1959年に1700台しか製造されていない、レスポールのギター」という。これだけの数のギターを所有しているので、自宅では保管できず倉庫を借りている。
福山雅治のもう一つの特技はバイクである。歴も長く、高校時代にすぐに免許を取っており、バイクも沢山乗り換えてきた。そのバイク好きは有名な話で、自分で『crazy horse』というバイクチームも作った。
福山雅治は、小学生の時はやんちゃな子供で、クラスで目立つのが大好きだった。現在のサービス精神旺盛なのはこの頃からだったよう。中学生になると、吹奏楽部に入る。楽器はホルンで3年間やっていた。中学3年生には部長をしており、結構モテていたという。
この頃吹奏楽の影響かどうかは分からないが、友人とバンドを組んだ。この時に初めてギターを買った。高校時代はバンドに励み、ミュージシャンになりたいと思うようになった。
高校卒業後、一度は地元の電機メーカーの営業マンとして就職したが、夢を捨てきれずに、会社を辞めて上京した。上京した頃は、バイト三昧で、ピザ屋や、運送会社などで生活費を稼ぎ、歌手になる為に頑張っていた。
福山雅治はすぐに現在の事務所アミューズに所属するが、歌手ではなく俳優としてのデビューだった。俳優としての才能もあった為、デビューしてからは次々と出演依頼がきたが、当時歌手になる夢が強かったので、出演依頼を断っていた事もあるようだ。俳優をしながら夢を諦めずやってきた事もあって、俳優デビューから2年後の1990年に歌手としてデビューを果たす。
兄弟 | 兄 |
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出生国 | 日本 |
出生地域 | 長崎県 |
高校 | 長崎県立長崎工業高等学校 |
大学 | 進学していない |
福山雅治はドラマ『ガリレオ』で共演した、柴咲コウや吉高由里子から「ストイックな人」だったと言われている。福山雅治はオン・オフの切り替えが凄くて、撮影に入ると役の入り方が凄くて、共演者やスタッフだけでなく、現場の空気感が違うそうだ。
逆に撮影が休憩などに入ってオフになると、ちゃんと役から抜けて、「完全に湯川先生(福山雅治さんの役名)じゃなくなって、ピンクな話もしたりする」という。ドラマや映画では撮影終了後の打ち上げでも評判がいい。とにかく周りへの気配りが凄くて、九州男児という言葉が合うように、おおらかで気持ちがいい。大勢で飲んでいるのに気配りが完璧だという。
福山雅治の整形の噂はない。
嫌いなものは特にないが、カレー、そば、サバの塩焼き、ばくだんそうめん(お母さんが作ってくれる味噌汁にそうめんを入れた物)、チョコレート、粒あんがすき。