サイモンドミニクについて

サイモンドミニク(Simon Dominic)は、2000年代後半に韓国において、まだヒップホップカルチャーが浸透していなかった時代から、ヒップホップ界を牽引してきた実力派である。

元々の声質もあり、歌うようにラップを刻めるという強み、またリズム感や強弱の付け方、速射砲のように言葉を紡ぎだすというラップスキルが頭抜けて華やかであると評価されている。

ヒップホップアーティストに道を拓いていこう、という趣旨で立ち上げたヒップホップレーベルであるAOMGの共同代表をパク・ジェボムと共に務めてきたが、彼と自分を比較してしまったり、プレッシャーを感じて大変だったことを吐露し、3年をもって同代表職を辞任した。しかし、彼は決して留まることなく、常に新しいスタイルを求めて活動を続けている。

基本プロフィール

  • 名前サイモンドミニク
  • 本名チョン・ギソク
  • 英語名SimonDominic
  • 性別男性
  • 国籍韓国
  • 所属事務所AOMG
  • 所属グループ ソロ歌手(韓国) 
  • 生年月日1984年03月09日 (34歳)
  • 星座 魚座
  • 兄弟
  • 出身韓国・釜山広域市金井区
  • 高校釜山南山高等学校
  • 大学慶州大学ホテル経営学科
  • デビュー年2007年
  • 身長170cm
  • 体重57kg
  • 血液型AB型
  • 干支 子(ねずみ)

交際や彼氏・彼女に関する噂や報道

レディージェーン

彼がデビューする前から、同じくアンダーグラウンドのバンド活動でボーカルをしていたレディージェーンは、2007年にライブの打ち上げで出会ったことをきっかけに、その後6年間に亘って交際を続けた。

交際中は、レディージェーンとフィーチャリングした曲を発表したり、二人の交際を歌詞にしたりと公開恋愛を続けていたが、それが負担となったこと、またレディージェーン曰くあるときから恋人ではなく友達のような関係になった、などの理由により、恋人関係を解消し友人関係に戻ろうと決めたそうだ。

一時は結婚を考えているとの発言もあり、破局後も連絡を取り合っていることなどが取り沙汰されたが、復活には至っていない。

好きなタイプ

サイモンドミニクは、2015年、MBC FM4Uの『タブロと夢見るラジオ』の中で「週刊サムディ」コーナーに出演した際、物静かながらもセクシーさがにじみ出ているような女性が良いと話した。当時ドラマに出演中であったソ・ジヘのような女性に惹かれると述べている。

グラマラスなスタイルが重要であると発言したこともある他、バラエティー番組内で車を運転する元KARAニコルの横で「運転のうまい女性は素敵だ。自分のできないことを上手にする女性がカッコいい」と言ったこともある。

性格・パーソナリティ

サイモンドミニクは、2016年、それまでのシリーズに対しネガティブな発言をしていたMnetのラッパーサバイバルオーディション番組『SHOW ME THE MONEY』の第5シリーズに出演することとなった。のちにこの出演を決めたことは自身が代表を務めていたAOMGのためでもあり、また誠実かつ積極的に生きるためであったと述べている。

番組内では断トツの実力者であったはずの彼は、個人としては4位という不本意な結果に終わったが、その後も番組に残りこのシリーズの優勝者であるBewhyをプロデュースする立場となる。結果として、優勝者のプロデューサーになった彼はBewhyの舞台で涙を見せたのだが、この時のことを後のインタビューで「20代の時には涙を流すことがなかった。強いふりをたくさんしてきた。苦しくても悲しくても誰にも話さなかった。しかし、だんだんとそれが出来なくなり、感情に対して正直になってきた。泣くことも多くなってきた」と語った。

若いころに一人で上京し、ラッパーとしての成功を夢見てひた走ってきた彼には強い意志があったが、様々な経験を通して内面が多様に変化していく、そんな部分も見せてくれている。

不遜な態度や問題となった行動が報道されたこともあるサイモンドミニクであるが、リアリティ番組内では使い捨ての皿も几帳面に洗い、きちんと分別してからゴミに出す姿や、プライベートで友人宅を訪問する際に、招待を受けた時は必ず手土産を持って行きなさいという親の言葉を忘れずに気を遣う一面なども見られ、その姿が評価を受けてもいる。

趣味

特技

デビュー前の経歴

サイモンドミニクが15歳の旧正月、親戚の家でいとこが持ってきた音楽雑誌を見ていると、「ヒップホップコンピレーションアルバム発売」と書いてあるページが目に飛び込んできた。ヒップホップって何だろうと思いながらも、数日後にはもらったお年玉をはたいてそのアルバムを買っていたという。家に帰るなりすぐに音楽をかけた。その瞬間からヒップホップにどっぷりとハマり、日がな一日そのアルバムを聴いて過ごしたそうだ。

その後、同じ中学校でヒップホップが好きな友人と出会い、二人で歌詞を書き、チームを結成して公演までも企画。どんどんと活動を広げていき、中学2年生にして釜山でヒップホップクルーIllest Konfusionを作り、リーダーを務めることとなった。その活動からクラブの社長と親しくなり、その社長を介して釜山のヒップホップクルーたちとの繋がりができ、人脈を広げソウルへの足掛かりをも掴んだ。

しかし地元の大学でホテル経営学科へ進学していた彼のソウル進出は、両親に大反対されることとなる。TOEICの勉強など努力をしてみたものの、彼の性格上二兎を追うことは難しく、結局はソウルで歌手になる契約が引く手あまたであると嘘をつき、無理やり許可を得て1999年に上京した。しかし、ソウルでの生活を始めてみると、メジャーデビューにはほど遠く、アンダーグラウンドでの活動をしながら、生活のために工場での仕事をして生活していた。

2005年ごろからは、現在の活動名であるサイモンドミニクを名乗り、アンダーグラウンドのミュージシャンたちのアルバムに多数フィーチャリングするようになる。その後Jiggy Fellazというクルーでの活動を始めると曲に注目が集まるようになり、アンダーグラウンドでは実力者として名を知られようになる。コアなリスナーからの人気を得て、2007年にはJiggy Fellazで共に活動していたE-sensとシュープリームチームチームを結成すると、リスナーからの大反響を受け、アメーバカルチャーと契約しメジャーデビューを果たすこととなった。

サイモンドミニクという活動名は、自身の好きな映画である『デモリションマン』に登場する悪役「サイモン・フェニックス」と自身の洗礼名「ドミニコ」の英名を合わせて付けたものである。自分も音楽界の悪役になりたいという意志を込めて付けたという。

メンバー・周囲からの評価

ヒップホップのレーベルであるAOMGを立ち上げたパク・ジェボムが、韓国でアンダーグラウンド時代からヒップホップ界を牽引してきたと認めるサイモンドミニクに話を持ち掛け共同代表を務めてきたが、2018年7月にシングル「Me No Jay Park」の発表、辞職書の画像をインスタグラムに上げたことを通じ、AOMGの共同代表から降りることが発表された。

パク・ジェボムの近年の快進撃に比べ過去のヒットに頼ってばかりの自分が情けない、パク・ジェボムのスピード感について行くのが大変、代表としてのメンツのため仕方なく『Show Me The Money』に出た、リスナーからは「仕事しろ、仕事しろ」と言われ続けた、等の歌詞が盛り込まれており、代表を務めながらも大きなフラストレーションを感じていたことが窺える。

しかし同時に今後もアーティストとしてAOMGに残ることも明かされているため、新たなサイモンドミニクとして再出発するための宣言とも言えるようだ。

兵役は、左目の網膜が失明に近い状態であることを理由に免除されている。

整形の噂

尊敬する人

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